2006年08月11日
ひえつきぶし 【稗搗き節】
ひえつきぶしを調べてみました。
ダーリンのお父さんが残したレコードに「稗搗き節」が有る。
歌っているのはお父さんだ。
どこかの民謡大会に出場する為に いつも家で練習をしていたのが「庭のさんしゅう〜の〜・・・・」
さんしゅうは 山椒の事。
この民謡にはちゃんとお話しが残っています。
1185年3月24日壇の浦で破れた平家の落ち武者達は鎌倉源氏の追っ手を逃れるため宮崎県の椎葉向山に住みついた。
そこに源頼朝に平家の残党を打てと命を受けたのが那須大八郎宗久。
1205年大八郎は稚葉にきたが彼らは平和な山村の農民になっていたので哀れに思い、鎌倉幕府に平家の残党を残らず追討したと使者を送った。
その後大八郎は平家落人で清盛の血を引く鶴富に恋をして椎葉で暮らすことになった。
この恋の唄が「稗つき節」の民謡だ。
庭のさんしゅうの木 鳴る鈴かけて
鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれよ
鈴の鳴るときゃ 何とゆうてでましょ
駒に水くりゅとゆうて でましょうよ
なんぼついても この稗つけぬ
どこのお倉の 下積みかよ
おまや平家の 公達ながれ
おどま追討の 那須の末よ
那須の大八 鶴富すてて
椎葉たつときゃ 目に涙よ
大八郎に鎌倉幕府から帰還命令が来たときには鶴富は妊娠していた。
生まれた子は女子だった。
鶴富は大八郎の面影をしのんで、その娘の成長後婿をとり、那須下野守宗久と名乗らせたそうです。
歌っているのはお父さんだ。
どこかの民謡大会に出場する為に いつも家で練習をしていたのが「庭のさんしゅう〜の〜・・・・」
さんしゅうは 山椒の事。
この民謡にはちゃんとお話しが残っています。
1185年3月24日壇の浦で破れた平家の落ち武者達は鎌倉源氏の追っ手を逃れるため宮崎県の椎葉向山に住みついた。
そこに源頼朝に平家の残党を打てと命を受けたのが那須大八郎宗久。
1205年大八郎は稚葉にきたが彼らは平和な山村の農民になっていたので哀れに思い、鎌倉幕府に平家の残党を残らず追討したと使者を送った。
その後大八郎は平家落人で清盛の血を引く鶴富に恋をして椎葉で暮らすことになった。
この恋の唄が「稗つき節」の民謡だ。
庭のさんしゅうの木 鳴る鈴かけて
鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれよ
鈴の鳴るときゃ 何とゆうてでましょ
駒に水くりゅとゆうて でましょうよ
なんぼついても この稗つけぬ
どこのお倉の 下積みかよ
おまや平家の 公達ながれ
おどま追討の 那須の末よ
那須の大八 鶴富すてて
椎葉たつときゃ 目に涙よ
大八郎に鎌倉幕府から帰還命令が来たときには鶴富は妊娠していた。
生まれた子は女子だった。
鶴富は大八郎の面影をしのんで、その娘の成長後婿をとり、那須下野守宗久と名乗らせたそうです。
Posted by jun-jun at 10:18│Comments(0)
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