2010年10月16日
明石藩主・松平斉韶(稲垣吾郎)
実話?作り話?
気になり調べてみると・・・・
松平斉韶(なおつぐ)の役は 11代将軍 家斉の26男で明石藩15代藩主 松平斉宣(なりこと)がモデルのようです。
気になったのが 明石藩主の話。
小笠原家→松平(戸田)家→大久保家→松平(藤井)家→本多家→松平(越前)家
松平斉韶は松平家7代目で明石藩の14代藩主になるそうです。
気になり調べてみると・・・・
松平斉韶(なおつぐ)の役は 11代将軍 家斉の26男で明石藩15代藩主 松平斉宣(なりこと)がモデルのようです。
気になったのが 明石藩主の話。
小笠原家→松平(戸田)家→大久保家→松平(藤井)家→本多家→松平(越前)家
松平斉韶は松平家7代目で明石藩の14代藩主になるそうです。
明石藩歴代藩主の墓が並ぶ長寿院、その中で15代藩主の墓が豪勢なんです。
家斉の子供 松平斉宣の墓です。
もちろん、十三人の刺客のモデルさんですね。
この墓を見下ろすような離れた墓が 7代藩主松平斉韶の墓です。
この時点で不思議なのは 映画では松平斉韶(稲垣吾郎)ですが、
史実は15代藩主の話なんですが 7代藩主の名前が・・・・(^_^;)
この辺は 作り物って事なんでしょうか?
本来、14番目の藩主は跡継ぎは 李遠姫の生んだ実子 直憲の筈が、
将軍の命令で将軍の26男を跡取りにする為に養子とした。
李遠姫は激怒、自害する。
斉宣は参勤交代中、尾張藩の領内で3歳の子供を無礼討ちにしたのは事実で有名な話だそうです。
参勤交代で尾張通らずに江戸へは行けなかったので 町民の格好で通過する屈辱を受けたりしたそうです。
そんなおり、斉宣は20歳で急死し、元々藩主になるはずだった 松平直憲が16代藩主に返り咲きました。
父 松平斉韶が「どのような絶望的な状況であっても、決して棄てばちになってはならない。
じっと我慢して時を待て。」と教えてくれた父に感謝した。
いい話ですね。
そして父の墓は 斉宣の墓を見降ろす場所に建てたそうです。
季遠姫様ももう少し我慢しておれば、良いこともござったのにと、みんな憐れんだそうです。
家斉の子供 松平斉宣の墓です。
もちろん、十三人の刺客のモデルさんですね。
この墓を見下ろすような離れた墓が 7代藩主松平斉韶の墓です。
この時点で不思議なのは 映画では松平斉韶(稲垣吾郎)ですが、
史実は15代藩主の話なんですが 7代藩主の名前が・・・・(^_^;)
この辺は 作り物って事なんでしょうか?
本来、14番目の藩主は跡継ぎは 李遠姫の生んだ実子 直憲の筈が、
将軍の命令で将軍の26男を跡取りにする為に養子とした。
李遠姫は激怒、自害する。
斉宣は参勤交代中、尾張藩の領内で3歳の子供を無礼討ちにしたのは事実で有名な話だそうです。
参勤交代で尾張通らずに江戸へは行けなかったので 町民の格好で通過する屈辱を受けたりしたそうです。
そんなおり、斉宣は20歳で急死し、元々藩主になるはずだった 松平直憲が16代藩主に返り咲きました。
父 松平斉韶が「どのような絶望的な状況であっても、決して棄てばちになってはならない。
じっと我慢して時を待て。」と教えてくれた父に感謝した。
いい話ですね。
そして父の墓は 斉宣の墓を見降ろす場所に建てたそうです。
季遠姫様ももう少し我慢しておれば、良いこともござったのにと、みんな憐れんだそうです。
Posted by jun-jun at 16:01│Comments(0)
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